山形地方裁判所 昭和35年(ワ)10号 判決 1963年6月24日
原告 高橋勢ん 外七名
被告 高畠町 外一名
主文
被告高畠町は、原告高橋勢んに対し金一、〇五三、二七三円を、原告高橋静枝、同高橋充江、同高橋修、同高橋勢津子に対しそれぞれ金五一〇、二二九円(以上四名分合計金二、〇四〇、九一六円)を、原告高橋秀治に対し金一〇〇、〇〇〇円を、原告滝谷チユキに対し金四一〇、二二九円を、原告橋本喜久夫に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払え。
原告等の被告高畠町に対するその余の請求および被告志田長永に対する請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用中、原告等と被告志田長永との間に生じたものは原告等の負担とし、原告等と被告高畠町との間に生じたものはこれを三分し、その二を被告高畠町の負担とし、その一を原告等の負担とする。
この判決中原告等勝訴の部分に限り原告高橋勢んにおいて金二〇〇、〇〇〇円、同高橋静枝、同高橋充江、同高橋修、同高橋勢津子、同滝谷チユキにおいて各金一〇〇、〇〇〇円、同高橋秀治、同橋本喜久夫において各金二〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告等の請求の趣旨
被告等は、各自、原告高橋勢んに対し金一、六六四、三七九円、同高橋静枝、同高橋充江、同高橋修、同高橋勢津子、同滝谷チユキに対し各金七四五、七五二円、同高橋秀治に対し金三〇〇、〇〇〇円、同橋本善久夫に対し金二〇〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
二、被告等の申立
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
との判決を求める。
第二、当事者双方の事実上および法律上の主張
一、原告等の請求原因
(一) 原告高橋勢んは訴外亡高橋柳治郎の妻、原告高橋静枝(昭和二三年三月一六日生)は右亡柳治郎と勢んの二女、原告高橋充江(昭和二六年二月二一日生)は同じく三女、原告高橋修(昭和二八年一〇月一四日生)は同じく長男、原告高橋勢津子(昭和三二年一月一二日生)は同じく四女、原告滝谷チユキ(昭和二〇年七月二一日生)は亡柳治郎と訴外仲野とゑの長女、原告高橋秀治は亡柳治郎の父であり、原告勢んは同静枝、同充江、同修、同勢津子の親権者で、高橋せいは原告チユキの親権者養母である。
(二) 訴外鈴木政弘、同八巻幸兵衛はいずれも被告高畠町の地方公務員で、訴外鈴木は高畠町消防団自動車運転者、同八巻は同消防団自動車副部長の職にあつたものであり、被告志田は自動三輪車の運転者である。
(三) 訴外鈴木、同八巻は被告高畠町消防団員訴外原田実とともに、被告高畠町が新しく消防自動車を購入するにつき火災その他の出動に際し新しい消防自動車の運転操縦を安全確実にできるよう習熟し技能を練磨するために消防団長、自動車部長その他の上司からいすずトラツク五六年型(普通貨物自動車)による操縦訓練を命ぜられ、訴外鈴木において右貨物自動車を操縦し、同八巻において助手席に同乗して右鈴木の操縦を監督し、同原田実において他に同乗して操縦訓練をしていたところ、昭和三四年八月一八日午前九時五〇分頃訴外鈴木は右貨物自動車を運転して山形県寒河江市大字寒河江甲九八番地付近道路(幅員約一〇メートル、舗装)を時速一五キロないし二〇キロで西進中左前方の道路左側(南側)に東方に向け駐車していた自動三輪車を、その後方に佇立していた訴外亡柳治郎、原告橋本等二、三人の成人男子を認めるとともに、更にその前方に対行東進していた小型四輪車(乗用車)を発見し、それとのすれ違いが駐車三輪車の付近で行われる状況であつたのであるが、かような場合自動車運転に従事するものは速度を加減しあるいは三輪車の手前で一旦停車する等してすれ違い自動車(右四輪車)を注視するとともに左方駐車三輪車との間に接触を避けるに足りる充分な間隔をとつて側方通過を図り、もつて危害の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに拘らず、これを怠り、一五キロないし二〇キロの速度で右方すれ違い自動車に気をとられ、左方駐車三輪車との間に充分な間隔をとることなく極めて接近していたのに漫然側方通過を図つた過失により、小型自動四輪車とのすれ違いを終つた直後自己車左前方ポデー蝶番を自動三輪車左前ボデーに衝突させ、これを後退させて右三輪車後部をその後方にいた訴外亡柳治郎、原告橋本の両名に激突させ、よつて右柳治郎に対しては頭蓋骨骨折、鎖骨肋骨骨折胸腔肺心等の傷害を与えて同人を即死させ、原告橋本に対しては左肩胛骨打撲、腰部脊椎等打撲等の傷害を負わせたものである。
(四) 被告志田は自動車の運転に従事する者として、自動車を道路上に駐車する際は自動車の進行方向に向つて右側をあけ左側に駐車すべき法律上の注意義務があるところ、右注意義務を怠り、昭和三四年八月一八日運転中の自動三輪車を前示山形県寒河江市大字寒河江甲九八番地先道路上の進行方向に向つて右側(南側)に東方を向けて駐車していたので訴外鈴木が運転していた貨物自動車の操縦を困難にさせたばかりでなく、右道路上に自動三輪車を駐車した際サイドブレーキを完全にかけ変速ギヤ中立以外のところに入れてエンジンと後部車輪を接続させ、エンジンブレーキを作動し得る状態になし、他車よりの衝突その他外部よりの力の作用により自己車が移動して他人の生命身体器物その他のものに損害を与えるなどの不測の事故が発生しないようにすべき業務上の注意義務があつたのに拘らず、右注意義務を怠り、サイドブレーキのツメを三ケ位残したままにしたためサイドブレーキが完全に作動せず、更にギヤを中立にしたままであつたためエンジンと後部車輪の接続が断たれブレーキの役目を果さなかつたので、前示貨物自動車と自動三輪車の衝突による自動三輪車の後退移動を容易にさせて自動三輪車後部をその後方に居た訴外亡柳治郎および原告橋本の両名に激突させ、よつて訴外鈴木の前示過失ある運転と相まつて右柳治郎を死さ亡せ、被告橋本に対し前示の傷害を負わせたものである。
なお、サイドブレーキはそのハンドルをひいてこれを物理的に車輪に作用させるものでエアブレーキや油圧式ブレーキと違い最後の方のハンドルの作用程ブレーキの効果が極端に大となるものであり最初の方のハンドルの動きは遊びで何らブレーキの作用をしていない。最後のツメ三ヶ位を残した本件の場合においてはサイドブレーキとしての効果の大半が失われていたというほかない。次に、エンジンブレーキは本件衝突のような場合には完全なブレーキの役を果すものである。すなわち、衝突によつて急速に三輪車が後退する場合これに伴つて車輪が回転しようとすると当然にエンジンを急速に回転(ピストンの上下)させなければならないが、構造上エンジンはそのような急速な回転には応じられない(早い回転に至るまで一定の時間を要するという意味とエンジンの回転自体に摩擦があるという意味を含む趣旨)ので、後輪はこれまた回転しないのである。本件の場合ブレーキが作用せず従つて車が後退するに際しスリツプ痕がなかつたことは明らかであり、若しブレーキが完全であつたとすれば三輪車の後退は最小限ですみ本件事故は惹き起されなかつたであろう。
(五) 訴外亡柳治郎は訴外鈴木と被告志田の不法行為によつて次のような損害を蒙つた。すなわち、まず、訴外亡柳治郎は原告勢んの住所地において農業を経営していたが、その死亡によつて失つた得べかりし利益は次のとおりである。
田畑の種別
耕地面積
(イ)反当純収益の平均(ただし昭和三四、三五年度の平均)
(ロ)反当家族労働費の平均(ただし昭和三四、三五年度の平均)
(ハ)亡柳治郎の家族労働費(ただし(ロ)の八〇パーセント)(注一)
(ニ)反当の「家族労働報酬」の計算方法による収益(ただし(イ)に(ハ)を加えたもの)
全体の得べかりし利益(ただし(ニ)に耕地面積を乗じたもの、円未満切捨)
田
七反五畝二二歩
二〇、六八九円
六、六五五円
五、三二四円
二五、四一三円
一九二、四六一円
普通畑
二、二、一五
(ただし一歩切捨)
四、四七〇
三、〇六四
七、五三四
一六、九五一
野菜畑
四、一〇
二、八二〇
六、五六〇
九、三八〇
二、六四〇
桑畑(注二)
二、〇、〇〇
(ただし二歩切捨)
マイナス
七、四五四
一九、六二四
一二、一七〇
二四、三四〇
りんご畑
一、〇、〇〇
四、三四二
八、一〇六
一二、四四八
一二、四四八
合計
二四八、八四〇
(注一) 訴外亡柳治郎の労働が八割を占めていたので家族労働報酬の計算の前提としての右柳治郎の家族労働費は(ロ)の八〇パーセントである。
(注二) ただし桑畑による繭よりの収益である。
従つて、訴外亡柳治郎の農業経営全体よりみた年間の総収益は右金二四八、八四〇円であるところ、右柳治郎の生活費は月額金二、八〇〇円すなわち年間金三三、六〇〇円であるから、同人の死亡により失われた得べかりし利益は年間金二一五、二四〇円である。そして、右柳治郎は大正五年八月五日生れで死亡当時満四三才であつたので同人の平均残存生命年数は二七年である。してみれば、ホフマン式計算により年五分の割合による中間利子を差引いて右二七年間に得べかりし利益を今一時に支払を受けるものとすればその総額は(ただし倍数指数は約一六・八〇強である)金三、六一六、〇三二円である。次に、右柳治郎は本件事故により死亡するに至つたが、同人の精神的苦痛に対する慰藉料は少くとも金三七六、一〇七円を下らない。
(六) 原告秀治および同橋本の両名を除くその余の原告等は右柳治郎の喪失した得べかりし利益および慰藉料の請求権を法定相続分に従つて相続したものというべきところ、その相続分は次のとおりである。すなわち、原告勢んは金一、三六四、三七九円、同静枝、同充江、同修、同勢津子、同チユキは各金五四五、七五二円である。
(七) 訴外亡柳治郎は溝延高等小学校を卒業後農業に従事し、兵隊に入り、除隊後警視庁巡査をなし、終戦後帰農したが、農村にあつては田井農民組合の事務長として農民運動に努力し、将来を嘱望され、家庭にあつては良き夫、子、父として信頼を受けていたので、本件事故のため死亡したことにより原告橋本を除くその余の原告等は精神的にもその支柱を失い、非常な苦痛を受けた。そして、その精神的苦痛に対する損害は次のとおりである。すなわち、原告秀治、同勢んは各金三〇〇、〇〇〇円、同静枝、同充江、同修、同勢津子、同チユキは各金二〇〇、〇〇〇円である。
(八) 原告橋本は昭和二二年山形県立山形中学校(旧制)を卒業して同年東京都所在私立中央労働学園専門学校に入学し、昭和二五年同校を第三学年で中退した後山形において日本社会党山形県連事務局長、日農中央委員、西村山地区労農会議々長等を歴任し、今日に至つているが、本件事故により跳飛ばされて失神し、前示傷害を受け、当時一週間程通院して治療を受けたが全治せず、腰部脊椎に今なお痛みを覚え、特に冬期には時々脊椎腎部左大腿部等に激痛を覚え歩行困難となることがある。しかして、同原告は右のように多忙な職務を負つているほか政治家として立つことを志しているのに本件事故による傷害により労働運動、農民運動等あるいは政治家としての生命ともいうべき行動力を著しく制限され、これによる有形無形の損害は甚大である。従つて、本件事故により同原告の受けた精神的損害は金二〇〇、〇〇〇円を下らないものである。
(九) 以上の次第であるから、被告高畠町は国家賠償法第一条に従い原告等の蒙つた損害を賠償すべき義務があるものというべきであり、仮りに右の主張が理由がないとしても同被告は民法第七一五条により右損害を賠償すべき義務がある。そして、本件事故の発生により原告等の蒙つた損害は訴外鈴木と被告志田の共同の不法行為によるものであるから、被告等は連帯して原告等に対し請求の趣旨掲記の損害を賠償すべき義務があるものというべく、被告等に対し右金員の支払を求めるため本訴請求に及んだ。
二、被告高畠町の答弁および主張
(一) 原告等の主張事実中訴外鈴木が被告高畠町消防団自動車運転者で訴外八巻が同消防団自動車副部長の職にあつたことは認めるがその余の事実は知らない。
(二) 本件事故発生時において訴外鈴木は地方公務員たる資格を有しなかつた。すなわち、同訴外人は非常勤の消防団員であつたところ、元来非常勤の消防団員は市町村から給与を受けているものではなく義勇的な奉仕をするもので、その身分については、平素は私人としての資格であり、消防事務に当るときにのみ地方公務員たる資格を持つに至るものである。本件についてこれを見るに訴外鈴木が本件事故を惹き起したのは消防団長または町長の命によつて消防事務に出動した際のものではなく、被告高畠町消防団条例同町消防団設置規則に違反し、しかもほしいままに自動車臨時運行許可証に指定する運行の区城(高畠―山形間)外を運行中の事故である。かかる場合訴外鈴木が地方公務員たる身分を持つたものでないことは極めて明らかであり、従つて国家賠償法第一条に定める「公共団体の公権力の行使に当る公務員」に該当しないのであるから、同条による損害賠償の請求はまずこの点において排斥を免れないというべきである。
(三) 次に、本件事故は国家賠償法第一条所定の「その職務を行うについて」発生したものではない。すなわち、前示消防団条例第七条以下の服務規律条項によれば「団員は団長の召集によつて出動し服務するものとする。」との規定その他の厳格な服務規律に拘束されるほか前示消防団設置規則第九条には「消防団は町長の許可を得ないで町の区城外の水、火災その他の災害現場に出場してはならない。」と規定され、団員の勝手な行動は厳に禁止されているところ、本件についてこれを見るに訴外鈴木が寒河江市に自動車を運行して行つたのは消防団長または町長の命令による水、火災の災害現場に出動したものではなく、新車購入に際しての練習中ほしいままに仮ナンバー自動車の試運転の区域を無視して寒河江市まで走行運転をなし、その間本件事故が発生したものであつて、右は国家賠償法所定の「公務員がその職務を行うについて」発生した事故でないことはこれまた極めて明らかである。従つて、仮りに訴外鈴木において本件事故発生につき故意または過失があつたとしても被告高畠町が同法所定の賠償義務を負う筋合でないことは当然といわなければならない。
(四) 被告高畠町は訴外鈴木に過失があつたことを争うものであるが、仮りに過失があつたとしてもそれは極めて軽微なものであつた。すなわち、(イ)訴外鈴木は本件事故発生につき酩酊運転、無暴操縦運転あるいは無免許運転等をなしたものではなく、対向してくる四輪車との接触を避けることに注意しすぎた結果駐車中の被告志田の三輪車のほんの一部(蝶番)に接触したものであること、(ロ)駐車中の右三輪車は現場付近が特に混雑していたのに交通法規に違反し、進行方向に向つて右側に長時間放置されてあつたものであること、(ハ)訴外鈴木としては自己の運転する車輛がほんの一部駐車中の三輪車に接触してその三輪車が後退し、そのためにその三輪車の後方に立つていた人間に三輪車が衝突し、その結果その人間が顛倒して死傷するに至るであろうというようなことを通常到底予測し得ない因果関係にあること、以上の点を併せ考えると訴外鈴木の過失は極めて軽微なものというべきである。
(五) 原告等(原告秀治と同橋本を除く)は鑑定人浅香敏夫の鑑定結果を基礎として訴外亡柳治郎の得べかりし利益を算定し、これを相続したものとして訴求しているが、右算定の基礎とされるものが極めて薄弱かつ不確定であるから、右原告等が主張する損害額は到底採用し得ないものである。すなわち、(イ)右鑑定は山形県西村山郡河北町における農業収入の一般的抽象的な見解であつて、鑑定人浅香は訴外亡柳治郎の所有耕作する農地を現地に検分していない。元来農地は地味が肥沃であるか否か、所在する位置によつて耕作および灌漑の便不便が著しく異り、最近労働力の不足により地味の悪い、不便な農地は到底採算がとれず、これを荒しておく事例が往々見受けられるところ、鑑定はこの点につき何ら具体的な調査をしていない。また畑はこれに植栽する作物の種類によつて収益が極端に異るところ、訴外亡柳治郎が従来いかなる範囲の畑にいかなる種類の果樹または野菜を植栽してきたか全く明らかでなく、今後永年に亘つていかなるものを植栽するかは全く予測し得ないところである。要するに右鑑定は一般的な見方を示したものにすぎず具体的に本件に妥当するものでないことは明らかであり、これをもつて損害算定の根拠とすることは失当である。(ロ)原告等は訴外亡柳治郎が死亡当時四三才で平均残存生命年数は二七年(七〇才まで生存)としてホフマン式計算により同訴外人の得べかりし利益を算定しているが、右は残存生命年数と就労可能年数とを同一視したもので明らかに誤りである。すなわち、右は四三才の壮年と七〇才の老人とが同一の労働をなし得るという極めて非常識な見解に立つものであるところ、重労働を必要とする農作業に従事する場合五〇才を超え六〇才に至る間は四〇才台の労働力に比して約七割あるいはその以下程度に労働力が低下することは当然であり、この点を考慮しない原告等の主張は失当である。(ハ)訴外亡柳治郎は未成年者である原告等を扶養すべき義務を負つていたものというべきであるから、右被扶養者の生活費は右原告等の相続財産(本件においては得べかりし財産上の利益)より控除されるべきものと思料する。
(六) 原告等は死亡した訴外柳治郎の慰藉料として金三七六、一〇七円を訴求するが、相続権者の遺産相続権に基づく請求以外に別個に右慰藉料を請求するのは適法でないと思料する。
三、被告志田長永の答弁および主張
(一) 原告等の主張事実中被告志田が自動三輪車の運転者であり、昭和三四年八月一八日自動三輪車を寒河江市大字寒河江甲九八番地先道路上に駐車していたことは認めるが、右側駐車をなしたことは否認し、その余の事実は知らない。
(二) 被告志田には共同不法行為の責を負うべき筋合がない。すなわち、(イ)被告志田は本件事故発生現場の道路南側端に東方に向い自動三輪車を駐車していたが、その理由は道路北側には旅館、店舗並びに道路入口があつて他人の営業に妨害となり、南側には伊勢屋旅館の土蔵と電報電話局があつてその中間に空地もあり他人に最も迷惑のかからない場所として右の場所を選んだからである。その際被告志田は後刻教員組合のピケ等が同所で行われることを全く予想していなかつたし、サイドブレーキを完全に操作したので、若し自動三輪車を西方に向け駐車しておけば何等違反行為はなかつたのである。右の場所は駐車禁止区域ではないし、道路の道幅は一〇メートル以上あり、北側には駐車中の車もなかつたところ被告志田は道路南側端に沿い〇・五メートルの距離を置いて駐車し、他の車馬の交通に何等支障を与えないことを確認したうえ下車したのである。その際教育委員会の伝達講習会が前示伊勢屋旅館で開催されることになつたため教員組合のピケ騒ぎがあり、警察官が多数交通整理並びに警戒等に出動したが被告志田は駐車中の自動三輪車の移動を命ぜられたこともなかつた。(ロ)駐車中の自動三輪車は空車であつてしかも自動車としての装置の用方に従つて用いられていない一個の物体にすぎない状態のものであつたところ、この物体に対して訴外鈴木の運転する大型貨物自動車が激突し、これを後方斜面(右側は約一尺、左側は約三尺)に押出し、三輪車の後方に居た原告橋本と訴外亡柳治郎に被害を与えたというのであるから、本件事故発生について訴外鈴木の過失と被告志田の右側駐車違反行為との間には関連性がない。仮りに関連性があつたとしても被告志田には何らの意思も行動もなかつたので直ちに客観的に一個の共同行為があつたということはできない。従つて、共同不法行為は成立しない。
(三) 仮りに訴外鈴木と被告志田の行為との間に本件事故発生について関連共同があつたとしても被告志田には本件事故発生について予見可能性がなかつたので被害を賠償すべき義務はない。すなわち、(イ)仮りに被告志田が自動三輪車を前示場所に東方向き(右側駐車)でなく西方向き(左側駐車)に駐車していたとすると訴外鈴木の運転していた大型貨物自動車は駐車三輪車のボデイ中央部に激突することになり、右三輪車の破損被害はもとより原告橋本の被害は更に甚大となつたものと思料されるところ、この点から見ても被告志田の右側(南側)駐車と本件事故発生との間には特に関係があるということはできない。(ロ)仮に被告志田の駐車と訴外鈴木の過失との間に因果関係があるとしても、被告志田は自動三輪車を駐車した際ほかの車が激突するであろうとか、それによつて他人を殺傷するに至るであろうとかを夢想だにしなかつたし、普通なにびともこのようことを予期し得なかつたであろう。また現場の状況から見ても普通の場合自動三輪車の後方に接近して人が立止るような場所ではない。してみれば、訴外鈴木の過失によつて惹き起された殺傷による原告等の損害は被告志田にとつては予見し得なかつたもので特別の事情による損害であるものというべきであるから、被告志田においてこれを賠償すべき筋合はない。
(四) 仮りに被告志田において何らかの賠償責任があるとしても、被害者である原告橋本と訴外亡柳治郎には被害を受けたことについて重大な過失があつたので当然その被害は相殺されるべきである。すなわち、原告橋本と訴外亡柳治郎は駐車していた自動三輪車の後方に相当時間立止つていたが、現場の状況から見て普通の場合右三輪車の後方に立止つているような場所ではないし、右三輪車の後方に接近して立止つていることは事故発生の危険を予想し得た筈であるから、これを敢てした被害者等には重大な過失があつたものというべきである。従つて、被告志田に多少の責任があつたとしてもその損害は互に相殺されるべきものと思料する。
(五) 被告志田には何らの賠償責任もないのであるが、仮りに責任があるとしても原告等の本訴請求金額は過大にすぎ不当である。すなわち、(イ)農業の経営は通常家族全体の団体的または集団的経営体であつて特殊の形態をなしているものであり、主たる指導者(経営者)を失つたからといつて直ちにその経営が不可能に陥つたうえ利益の全部を失うことにはならない。土地建物農具果樹等すべてが存在しこれを基本として家族等において充分にその経営を持続し得るものであつて、その収益の点についても指導者の指導あるいは天候状況等によつて多少の増減があるとしても収益の全部または多大な利益を失うことはあり得ない。これは顕著な事実である。原告等は訴外亡柳治郎の死亡後そのまま継続して農業を経営し、同訴外人が指導していた当時と変らない収益をあげている。従つて、同訴外人の事故死によつて蒙つた損害は同訴外人の慰藉料はともかくとして同訴外人の指導によつていた当時の収益とその家族経営による現在の収益との差額にすぎないものというべきであるから、同訴外人の死亡当時における収益の全部が損害であるとする原告等の請求は失当である。(ロ)訴外亡柳治郎の余命年令が二七年であることはともかくとして強度の筋肉労働を必要とする農業労働に従事する者の労働力を余命年令と同一と看做して損害額を算定することは不当である。農業労働に従事する場合において七〇才までその労働力を維持し得ないことは顕著な事実であろう。農業従事者として一〇〇パーセント働き得る年令は五〇才が限度であろう。五一才から六〇才位までは平均して五〇パーセントに半減し、六一才から七〇才位まではその労働力は二〇パーセント程度と見るのが正当である。(ハ)原告等は訴外亡柳治郎の事故死により自動車損害賠償保障法に基づいてすでに保険金三〇〇、〇〇〇円を受領しているが、右三〇万円は損害請求額から当然控除されるべきである。(ニ)原告等の請求する慰藉料の額は過大であるから実状を考慮して減額されるべきである。
第三、証拠関係(省略)
理由
一、当事者間に争のない事実
原告等と被告高畠町との間において訴外鈴木が被告高畠町消防団の自動車運転者、訴外八巻が同消防団の自動車副部長の職にあつたこと、原告等と被告志田との間において被告志田が自動三輪車の運転者で原告等主張の日時にその主張の場所に自動三輪車を駐車したことはいずれも争がない。
二、原告橋本を除くその余の原告等の身分関係について
いずれも成立に争のない甲第一ないし第三号証(いずれも戸籍謄本)によると、原告勢んは訴外亡柳治郎の妻で、右両名の間に昭和二三年三月一六日二女原告静枝が、昭和二六年二月二一日三女原告充江が、昭和二八年一〇月一四日長男原告修が、昭和三二年一月一二日四女原告勢津子がそれぞれ出生し、右柳治郎の死亡後は原告勢んが単独でいずれも未成年者である右子女の親権者となつていること、原告チユキは昭和二〇年七月二一日右柳治郎と先妻訴外仲野とゑとの間に長女として出生したが、現在原告秀治とその妻訴外亡ことの間の二女(すなわち右柳治郎の妹)で養母に当る高橋せいの親権に服していること、原告秀治は右柳治郎の父であること、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。
三、本件事故の発生と訴外鈴木の過失の有無について
まず、本件事故の発生につき訴外鈴木に過失があつたかどうかについて判断するに、いずれも成立に争のない甲第六号証の一、二、同第七号証、同第八ないし第一一証の各一、同第一四、一五号証の各一、同第二三、二四号証、証人八巻幸兵衛、同鈴木政弘の各証言と弁論の全趣旨によれば次のような事実を認めることができる。すなわち、昭和三四年八月一八日午前九時五〇分頃訴外鈴木は前示普通貨物自動車(車体番号第三八二五号臨時運行許可番号標番号山形第一四〇号)を運転して山形県寒河江市大字寒河江甲九八番地付近の左沢天童線県道(幅一〇メートル、路上面はアスフアルト舗装)上中央部より少し左寄り(南側)付近を時速一五キロないし二〇キロで西進していた。右寒河江甲九八番地付近の県道は南北に通ずる比較的交通量の多い道路であつて県道の南側には伊勢屋族館こと訴外中村周一方が、北側には福田屋旅館こと石川悦之助方が所在しているが、右時刻頃伊勢屋旅館前付近と福田屋旅館前付近の県道上には二、三〇人の者が立止つたり動き回つたりしており、福田屋旅館前路上には山形県西村山教員組合所有のジープ(山形一す第一二六一号)一台が東方に向け路上左側(北側)に駐車してあり、伊勢屋旅館前路上には被告志田所有の自動三輪車(山形六す第八九七〇号)一台(二トン車)が東方に向け路上右側(南側)に駐車してあり、右自動三輪車の後方(すなわち西側)路上に原告橋本、訴外高橋柳治郎、同今田祐三郎の三名が立止つて話合いをしていた。訴外鈴木は進行方向右側路上に前示ジープが駐車していることを認めたほか駐車中の自動三輪車の手前約一一メートルの地点まで進行したとき右自動三輪車の後方で自己車から斜前方約一八メートルの地点に原告等が立止つていたことを認めたが、同時に前方約二五メートルの地点に道路中央部より少し右寄り(北側)付近を自己車より高速度で対面東進してきた小型ハイヤー一台を発見した。訴外鈴木は自己車と対向小型ハイヤーとのすれ違い位置が駐車中の右自動三輪車の所在する場所付近になるものと判断したが、道路の幅員が十分広かつたし路上左側の自動三輪車が停車していたのでそのまま直進してもすれ違いができないことはあるまいと思料し、小型ハイヤーとのすれ違いにのみ気をとられて駐車中の自動三輪車との位置、間隔を十分に確認しないまま従来の速度で運転を継続し、西方へ向け直進した。しかして、訴外鈴木は自己車が自動三輪車の運転席と平行する位置に進んだ頃対向小型ハイヤーとのすれ違いに成功したが、自動三輪車の向つて右側を通過しようとした際自己車ボデーの左側前から一番目の蝶番(第一ボデーピン)を自動三輪車のボデー左側前方先端上部に衝突させて急激に自動三輪車を斜後方に左側一・七五メートル、右側一・五メートル後退させ、よつて自動三輪車の後方に立止つていた原告橋本と訴外柳治郎に自動三輪車の後部を激突させて両名を路上に転倒させた。右の激突と転倒により原告橋本は左肩胛部打撲の傷害を受け、訴外柳治郎は頭蓋骨骨折胸部外傷等を受けて即死した。以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。右認定事実によれば、訴外鈴木は進行方向左側路上に駐車していた被告志田所有の自動三輪車から約一一メートル手前の地点で右自動三輪車の後部付近すなわち斜前方約一八メートルの地点に原告橋本と訴外亡柳治郎等が立止つていたのを認めたのと同時に前方約二五メートルの地点に対向してきた小型ハイヤーを発見し、右対向車と自己車のすれ違う位置が右自動三輪車の駐車位置付近になるものと判断したというのであるから、このような場合自動車運転者として対向小型ハイヤーとのすれ違いに十分注意を払うとともに駐車中の自動三輪車との間隔を十分に確認するなどして、右自動三輪車に自己車を激突させて自動三輪車を後退させ、もつてその後方に立止つていた原告橋本および訴外亡柳治郎等に危害を加えるようなことのないように予め十分に注意すべき業務上の義務があつたものというべきところ、訴外鈴木はこれを怠りそのまま直進しても安全にすれ違いができるものと軽信して自動三輪車との間隔を十分に確認せず、従前の速度で運転を継続した結果自己車を駐車中の自動三輪車に激突させて前示のような事故を惹き起したのであるから、訴外鈴木は本件の事故が発生したことについて過失があつたものというべきである。
四、被告志田の過失の有無について
しかして、本件事故の発生につき被告志田に過失があつたかどうかについて判断するに、いずれも成立に争のない甲第六号証の一ないし一八、同第一〇、一一号証の各一、同第一三号証(ただし後記措信しない部分を除く)、証人丸藤仁吉、同丹野正悦、同砂田登の各証言と被告志田本人尋問の結果(第一、二回、ただし後記措信しない部分を除く)を総合すると次のような事実を認めることがでさる。すなわち、被告志田は昭和三四年八月一八日午前八時一〇分頃マツダ一九五七年型自動三輪車(車輛番号山形六す第八九七〇号、最大積載量二トン、車の長さ五・一二二メートル、車の幅一・八三四メートル、車の高さ一・九四六メートル)一台を空軍のまま運転して肩書地の自宅を出発し、午前八時三〇分頃前示伊勢屋旅館前県道に至つて本件事故発生現場に右自動三輪車を駐車した。右駐車位置は一〇メートル幅の県道の南側端から約〇・五メートル離れた位置で県道の南側寄りであつたが、車首が東方に向けられていたので自動三輪車の進行方向から見ればいわゆる右側駐車であつた。右自動三輪車はいわゆる中古車であつたが昭和三四年七月中に車体検査を受けたものであつてブレーキ関係の装置に故障はなかつたところ、被告志田は変速装置(ギヤ)を中立になし手動制動機(サイドブレーキ)を最後のツメを二、三ケ残して操作しブレーキを完全には操作しないで駐車した。その頃被告志田は右伊勢屋旅館前県道付近に格別に集合したような大衆を見受けなかつたし、その後まもなく右の場所に大衆が集合するようなことを全く知らなかつたので、自動三輪車は県道上に駐車したまま伊勢屋旅館付近の路地に入り、訴外渡辺喜太郎方や訴外村山食品会社方で用事を足した。一方、同日山形県西村山教育出張所主催の小学校教育課程研究協議会が寒河江市の訴外ホテル伝内および前示福田屋旅館と伊勢屋旅館で開催されたので、これに対し西村山教員組合による集団説得活動が行われ、多数の者がこれに参加したが、右集団説得活動を応援するために参加した訴外亡柳治郎は原告橋本や訴外今田祐三郎、同須藤菊太ほか他の参加者多数とともに寒河江市内所在の訴外ホテル伝内付近を同日午前九時二〇分頃出発してまもなく伊勢屋旅館前県道上に至り、訴外亡柳治郎、原告橋本および訴外今田の三名は駐車中の自動三輪車の後方(西方)に立止つて話をしていた。そして、同日午前九時五〇分頃訴外鈴木の運転していた前示普通貨物自動車が駐車中の自動三輪車に激突し、自動三輪車を急激に後退させてこれを訴外亡柳治郎と原告橋本に激突させた。よつて、前示のように原告橋本が傷害を受け、訴外亡柳治郎が死亡した。以上の事実を認めることができ、右認定に反する甲第一三号証中の記載部分および被告志田本人尋問の結果(第一、二回)の一部は前顕各証拠と対比してたやすく措信することができず、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。右認定事実によれば、被告志田は自己車の進行方向に向け路上右側(南側)に自動三輪車を駐車したのであるが、駐車した自動三輪車の左側(北側)路上には七メートルを下らない道幅が残されていたので駐車位置付近の交通を格別に困難にしたものとは解することができず、また、被告志田は駐車の際完全にブレーキを操作していなかつたのであるが、一般にブレーキは駐車中の自動車が自然に動き出すことのない程度に操作してあれば十分であると解せられるところ本件において自動三輪車のブレーキは少くとも右の程度に作用していたものと推認することができるばかりでなく、更に重要なことには被告志田は駐車の際後刻駐車位置付近に訴外亡柳治郎や原告橋本等大勢の者が集合することを全く予知していなかつたし通常人であつても必ずしもこれを予知し得たものとはいえないのであるから、本件の場合被告志田において通常人の弁識力をもつてすれば駐車中の自動三輪車に訴外鈴木の運転中の貨物自動車が衝突して被害者訴外亡柳治郎と原告橋本の法益の侵害が発生することを予見でき、従つて損害の発生を防止すべさ筈であつたのに、これを予見しなかつたため損害発生の防止行為をしなかつたということで注意義務の違反すなわち過失があつたものと解するのは相当でない。言い換えるならば、被告志田は本件事故の発生につき社会一般生活上普通人に期待されるべき注意を払わなかつたということはできないのである。
また、道路交通法第四八条第一項(本件事件当時旧道路交通法第三三条)には車輛は道路の左側端に沿いかつ他の交通の妨害とならないように駐車しなければならないと規定し同法第一二〇条第一項第五号(旧法第七二条第二号)にはその罰則を規定するし被告志田が本件違法駐車により罰金二、〇〇〇円に処せられたことは同被告の第一回本人尋問の結果と成立に争いのない甲第四二号証によつて明らかであるが被告志田が単に法令に違反して自動三輪車を進行方向右側に駐車したというだけでは被告志田において本件事故の発生につき過失があつたものということもできないので、結局被告志田は本件事故の発生につき過失がなかつたものというほかない。してみれば、被告志田は訴外亡柳治郎および原告橋本に対し何ら不法行為をなしていないものというべきであるから、被告志田の右両名に対する不法行為が成立することを前提として被告志田に対しその損害賠償を求める原告等の本訴請求は被告志田主張のその余の点について判断するまでもなく理由がないので失当といわなければならない。
五、国家賠償法第一条第一項の適用の有無について
国家賠償法第一条第一項の規定によれば、国または公共団体が損害賠償責任を負うためには国または公共団体の公権力を行使する公務員がその職務執行について故意または過失により違法に他人に損害を加えたことを要件とする。ところで、本件において右条項が適用されるべきか否かについて当事者間に争いがあるところ、まず訴外鈴木が消防自動車の操縦訓練のため貨物自動車を運転していたことが公権力を行使していたものといえるか否かについて判断する。いずれも成立に争のない甲第九号証の一、同第一四号証の一、同第一六号証、同第二四号証、同第二九号証、乙第一号証の一、二、証人後藤利寿、同竹田亀鑑の各証言によりいずれも真正に成立したものと認められる乙第二号証の一、二、証人竹田要助、同大塚新一、同八巻幸兵衛、同原田実、同鈴木政弘、同川村勇吉、同後藤利寿、同酒井重次郎の各証言と弁論の全趣旨によれば次の事実を認めることができる。すなわち、昭和三四年八月当時被告高畠町には消防組織法(昭和二二年法律第二二六号)に基づく高畠町消防団条例(昭和二九年条例第二一号)および高畠町消防団設置規則(昭和二九年規則第一二号)により設置された高畠町消防団があり、右消防団には非常勤の役員として団長一名、副団長二名、分団長六名、副分団長六名、部長三八名、副部長四三名、班長三八名が置かれ、右消防団は第一分団ないし第六分団から成り、第三分団は第一部ないし第一二部から成つていたところ、右第三分団には一九四八年式日産自動車ポンプ一台が設置されていたが、右消防自動車が考朽化して不時の火災等に対し十分な役割を果し得なくなつたため被告高畠町は新しく消防自動車を購入すべく消防団長、副団長、第三分団長、同副分団長、高畠町議会厚生委員、竹森部落代表から成る消防自動車購入委員会を設けてこれに当て、右購入委員会の代表が訴外山形いすず自動車株式会社と折衝のすえようやく同年八月一三日頃被告高畠町は右訴外会社からT・S・四四二いすず前輪駆動消防四輪という四輪駆動の消防自動車一台を代金二四五万円で購入することになり、その引渡期日を右契約締結時から九〇日以内と定めた。四輪駆動の消防自動車を操縦することは右第三分団の自動車運転者にとつて初めての経験であつたので右新車購入契約締結時頃被告高畠町側が訴外会社のセールスマン訴外川村勇吉を通じて同会社に対し新車の操縦に備えて訓練をするため新車と構造性能の類似した車を貨してほしい旨申し入れたところ、訴外会社は右第三分団の自動車運転者たちがお盆の休日を利用して小学校の校庭で練習したいと熱望していたことや操縦不慣れのため新車をたやすく破損されたのでは会社側としても責任を負わなければならないことになりかねなかつたことなどの理由で被告高畠町の申し入れを承諾し、新しく購入すべき消防自動車と構造性能が類似していてただ消防装置が設備されていないだけの四輪駆動の一九五六年式いすず普通貨物自動車(中古)一台を操縦訓練のため被告高畠町に貸与することとし、翌八月一四日右貨物自動車に試運転ナンバー第五一三号を付したうえ訴外酒井重次郎をしてこれを山形市の訴外会社から被告高畠町大字竹森部落の公民館前まで運転させ、右第三分団で消防自動車を担当している第一部(自動車部)の部長訴外大塚新一にこれを引き渡し、右仮ナンバーを持ち去つた。そこで、訴外大塚の進言により右第三分団長訴外後藤利寿は翌八月一五日高畠町長新野広吉に対し右貨物自動車(車体番号第三八二五号)の臨時運行許可申請をなし、右高畠町長は同日右貨物自動車につき訴外後藤名義で自動車損害賠償責任保険に加入させたうえ同訴外人に対し翌八月一六日付許可番号第六四号をもつて運行の目的を試運転運行の経路を高畠山形間、有効期間を同月一六日から二〇日までとする右貨物自動車の臨時運行許可証(臨時運行許可番号標番号山形第一四〇号)を発行した。ところで、消防自動車を運行する場合高畠町消防団においては原則として消防団長の許可を要することになつており、特に機械の整備をなした際試運転のため車庫の周辺や各分団の区域内を運行する場合には各分団長の権限でこれをなし得たのであるが、消防団員はすべて非常勤であつたところ、八月一六日第三分団第一部長の訴外大塚の指示により前示貨物自動車が保管されていた前示竹森部落の公民館前に同分団第一部の副部長訴外八巻幸兵衛、同第一部の消防自動車運転要員であつた消防団員訴外鈴木、同原田実、同原田昭策、同横山伊和男が集合し、お互いに話し合いのうえ右貨物自動車による操縦訓練の日程につき最初の二日間は被告高畠町立屋代小学校の校庭だけで練習し第三日目頃から道路上で練習してもよいが同町屋代地区(すなわち第三分団地区)内だけで運行することと定め、右貨物自動車の鍵は訴外大塚が常にこれを保管しておくことと定めた。そこで、右日程に従い八月一六日から操縦訓練が始められたが、右自動車運転要員四名のうち訴外原田昭策と訴外横山の両名は運転経験が長く訴外鈴木と訴外原田実の両名は運転経験が短かかつたので、訓練に際し経験の豊富な者と浅い者とが組合わされて各一組となり、一六日の第一日目は一日中訴外大塚の監督の下に前示屋代小学校々庭で右運転要員四名が出頭して操縦訓練が行われ、翌一七日の第二日目は同じく右屋代小学校々庭で午前中訴外大塚の監督の下に訴外原田昭策と訴外鈴木の一組が訓練をなし、午後は訴外八巻(副部長)の監督の下に訴外横山と訴外原田実の一組が訓練をなした。ちなみに、被告高畠町において消防自動車を運転する際は部長の訴外大塚または副部長の訴外八巻が事故防止その他の指揮監督のため必ず助手席に同乗すべき義務があつた。そして、翌一八日の第三日目は午前中訴外大塚の監督の下に訴外原田昭策と訴外鈴木の一組が訓練する予定であつたところ、部落の神社の祭礼で不都合を生じたという理由で訴外大塚と訴外原田昭策が訓練に参加できなくなつたため同日朝急に同乗者が変更され、訴外八巻の監督の下に訴外鈴木と訴外原田実が一組となつて訓練を行うことになつたが、前示竹森部落の公民館前で訓練用の前示貨物自動車に乗車する際訴外原田実が訴外鈴木に対し操縦訓練も繰り返して行つたし右貨物自動車の操作にも慣れてきたから路上訓練をして東置賜郡赤湯町まで行つてはどうかと申し出で訴外鈴木がこれに同意したので、訴外原田は右貨物自動車を運転して右公民館前から前示屋代小学校とは方向違いの赤湯町方面へ通ずる道路上に進路をとり、やがて赤湯町へ到達した。赤湯町へ着いたところ訴外原田実が路上訓練をしたついでに山形市まで運行してはどうかと申し出で訴外鈴木と訴外八巻もこれに同意したので、訴外原田実は運転を継続して山形市へ到達したが、折柄午前九時三〇分頃で路上が混雑していたため帰路へ向け方向を転換すべき余裕も見出せず、右貨物自動車の運行経路が高畠町山形市間に制限されていたことを知りながらもそのまま山形市を通過して天童市まで運行した。天童市付近の地理については同乗者三名とも、不案内であつたため天童市で一旦停車し、回り道をして山形市へ向け方向転換をなし得べき道順を尋ね聞いたうえその道路を辿ろうしたところ途中道順を誤まり、訴外原田実の運転していた貨物自動車は天童市から寒河江市へ通ずる道路上を運行するに至つたが、天童市の市街地を出たところで停車し、その場で運転者が交替され、訴外鈴木が運転を始めた。そして、寒河江市の市街地で訴外鈴木の運転していた貨物自動車が駐車中の被告志田所有の自動三輪車に衝突し、同三輪車を後退させてこれを訴外柳治郎および原告橋本に衝突させ、よつて本件の事故が発生した。右操縦訓練中右監督者および運転者等はいずれも消防団員の制服を着用せず、普通の農夫の服装をしていた。以上の事実を認めることができ、前顕各証拠中右認定に反する記載部分または供述部分はその余の前顕各証拠と対比してたやすく措信することができず、他に右認定を左右するにたりる証拠はない。
ところで、公権力の行使の意義を如何に解すべきかについてはこれを国家統治権に基づく優越的な意思の発動たる作用のみを指すものと解するいわゆる狭義説とこれを国家行為のうち私経済作用を除くすべての公行政作用を含むものと解するいわゆる広義説とがあるところ、右認定事実によれば本件においては前示第三分団長訴外後藤の名義で臨時運行許可証を得たうえ訴外鈴木がその上司ともいうべき訴外八巻の監督の下に新しく購入されるべき四輪駆動の消防自動車の操縦に備えるためこれと類似した構造性能を有する普通貨物自動車をもつて操縦訓練をしていたというのであるが、これをもつて権力(すなわち警察権)の発動ということはできないし、また、右操縦訓練に使用された自動車が普通貨物自動車であつてしかも運転者や同乗者がいずれも普通の農夫の服装をしていたというのであるから客観的にこれを見ると普通の私人の自動車操縦訓練と性質を異にするものではなく従つてこれをもつて私人対私人の関係と異なる特色をもつものということはできないので、前示狭義説によつてはいうまでもなく、更に広義説によつても訴外鈴木の操縦訓練をもつて公権力の行使とはいえないものと解するのが相当である。してみれば、その余の要件事実の存否について判断するまでもなく本件においては国家賠償法第一条第一項の適用はないものというほかない。従つて、右条項が適用されるべきことを前提とする原告等の本訴請求は理由がないので失当である。
六、被告高畠町の民法第七一五条に基づく責任の有無について
そこで、被告高畠町が訴外鈴木のなした行為により民法第七一五条に基づく損害賠償責任を負うべきか否かについて判断する。まず、被告高畠町と訴外鈴木との間に使用者被用者の関係が存したものと見るべきかどうかについてであるが、前示五で認定した事実によると訴外鈴木は被告高畠町消防団の非常勤の消防団員であつたところ本件事故発生当日は消防団員の資格でその上司であつた訴外八巻の監督の下に被告高畠町において新しく購入すべき四輪駆動の消防自動車の操縦に備えるため右新車と構造性能の類似した普通貨物自動車を用いて操縦訓練をしていたというのである。しかして、前示消防組織法の規定に照らすと被告高畠町は同町の区域における消防を十分に果すべき責任を有し(同法第六条)、その消防事務を処理するために消防団を設けなければならず(同法第九条第三号)、右消防に要する費用は同町で負担しなければならず(同法第八条)、同町の長は条例に従い同町の消防を管理し(同法第七条)、消防団の推せんに基き消防団長を任命し(同次第一五条の三第二項)、右消防団長は同法に従つて置かれるべき消防団員を町長の承認を得て任命し、消防団員は上司の指揮監督を受けて消防の事務を掌る(同法第一五条の三第一、三、四項)という建前になつており、右法律に基づく前示高畠町消防団条例には同町消防団員の任免、定員、懲戒、服務、規律、給与について規定されている。してみれば、被告高畠町と同町消防団員としての訴外鈴木との間には使用者被用者の関係が存したものと解するのが相当である。
そこで、訴外鈴木の前示操縦訓練が被告高畠町の事業の執行につきなされたものといえるかどうかについてであるが、前示五で認定した事実によると、昭和三四年八月一三日頃被告高畠町は訴外山形いすず自動車株式会社から四輪駆動の消防自動車一台を購入することになつたところ、同町消防団は第三分団の自動車部(第一部)がその時までに四輪駆動の消防自動車を操縦したことがなかつたので主として右第一部の消防自動車運転要員等の要望により訴外会社から四輪駆動の一九五六年式いすず普通貨物自動車一台を借り受け、右第三分団長訴外後藤の名義で右貨物自動車につき被告高畠町町長の臨時運行許可証の交付を受け、同分団第一部長訴外大塚の直接の指揮監督の下に同月一六日から同月二〇日までの日程で右第一部消防自動車運転要員の右貨物自動車による操縦訓練が開始され、第一日目の一六日と第二日目の一七日の両日は訴外大塚および訴外八巻の監督の下に運転要員訴外鈴木、同原田実、同原田昭策および同横山が参加して被告高畠町立屋代小学校校庭で操縦訓練が行われたが、第三日目の翌一八日は訴外八巻の監督の下に訴外鈴木と同原田実が参加して最初から路上運転を行い、被告高畠町屋代地区内の竹森部落から東置賜郡赤湯町まで運行したばかりでなく赤湯町を通過して山形市へ至り、更に天童市を経由して寒河江市まで運行したところ、右臨時運行許可証による貨物自動車の運行経路が高畠町と山形市との間に制限されていたことを知りながら山形市内における路上が混雑していたことと天童市付近の地理について不案内であつたため右の順路により寒河江市まで至つたというのである。しかして、民法第七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは被用者がその担当する事務を適正に執行する場合だけを指すのではなく、広く被用者の行為の外形をとらえて客観的に観察したときいやしくもそれが被用者の職務行為の範囲内に属するものであればたとえ被用者が執務上守るべき内規または命令に違反してなした行為であつてもこれを職務の執行についてなした行為であると解するのが相当である。これを本件について見るに、訴外鈴木が運転していた普通貨物自動車は被告高畠町消防団第三分団長訴外後藤の名義で同町町長の臨時通行許可証を受けたうえ運行に供されていたものであり、訴外鈴木は同町消防団の非常勤の消防団員であつたが消防自動車運転要員として専ら消防自動車運転の職務に従事していたものであつて、しかも右第三分団第一部副部長訴外八巻の監督の下に新しく購入されるべき四輪駆動の消防自動車の操縦に備えて右貨物自動車による操縦訓練をしていたものであり、更に前示のように被告高畠町は同町の区域における消防を十分に果すべき責任を有するところ右操縦訓練は消防事務の一範囲に属するものというべきであるから、たとえ訴外鈴木が制限された運行経路の範囲を越えて訓練用の貨物自動車を運行したとしても右貨物自動車の運転自体は一般的外見的には消防自動車運転要員訴外鈴木の職務行為の範囲内に属するものというべきである。してみれば、訴外鈴木の右自動車運転は被告高畠町の事業の執行につきなされたものというほかない。
従つて、訴外鈴木が故意または過失により原告等の権利を侵害したとすれば被告高畠町は民法第七一五条の規定により原告等の蒙つた損害を賠償する義務があるものというべく、右の判示と見解を異にする被告高畠町の主張は理由がないので到底これを採用することができない。
七、損害額について
そこで進んで、本件事故の発生により原告等の蒙つた損害の数額について判断する。
(イ) 訴外亡柳治郎の喪失した得べかりし利益について
まず、訴外亡柳治郎が本件事故の発生により死亡したために失つた将来の得べかりし利益の数額について判断するに、成立に争のない甲第四四号証、証人浅香敏夫の証言、原告高橋秀治本人尋問の結果、鑑定人浅香敏夫の鑑定の結果と弁論の全趣旨によれば次のような事実を認めることができる。すなわち、訴外亡柳治郎は本件事故発生当時農業を営んでいたがその耕地面積は田七反五畝二二歩(ただし畦畔を含まない。)、普通畑二反四畝一二歩、野菜畑四畝一〇歩、桑畑一反八畝六歩、りんご畑一反歩であつて近隣と比較して中程度の農家であり、右耕作地からの収穫物も中程度であつた。また、同訴外人は右桑畑より産する桑で養蚕をしていた。同訴外人の家族は前示のように父原告秀治と妻原告勢んのほか子女原告静枝、同充江、同修、同勢津子の計七名であつたが、原告秀治は老令(明治二二年九月一日生)のうえ足が悪くて十分に働くことができず、原告勢んは非農家の出身であつて野良に出て働くことをしなかつたので、農業の家族労働量のうち約八割を同訴外人が占めており、その余の家族で約二割を占めていたにすぎなかつた。ところで、農林省山形統計調査事務所が実際に行なつた各種農産物の生産費調査に基づき収益の算出方法を純収益と家族労働報酬とに分け、
純収益=反当主産物価額資本 利子地代算入生産費
家族労働報酬=反当主産物価額-(資本利子地代算入生産費-家族労働費)
という算式で算出された山形県西村山郡河北町付近の米、繭、りんごの昭和三四年度および昭和三五年度における収益は次のとおりである。すなわち、
種目
年度
反当主産物価額
資本利子地代算入生産費
家族労働費
純収益
家族労働報酬
米
昭和三四
三四、二〇二円
一四、〇五〇円
六、六〇三円
二〇、一五二円
二六、七五五円
三五
三七、八九〇
一六、六六四
六、七〇七
二一、二二六
二七、九三三
繭
三四
二六、八八七
三二、一三七
二一、六八九
マイナス
五、三四九
一六、三四〇
三五
二八、七一〇
三八、二七〇
二五、八三五
〃
九、五六〇
一六、二七五
りんご
三四
五五、八七〇
五〇、七八四
一〇、三七九
五、〇八六
一五、四六五
三五
五二、二〇九
四八、六一一
九、八八八
三、五九八
一三、四八六
また、昭和三五年度における普通畑と野菜畑の収益は
種目
純収益
家族労働報酬
普通畑
四、四七〇円
八、三〇〇円
野菜畑
二、八二〇
一一、〇二〇
であつた。しかして、一般に収益として取扱われている項目は家族労働報酬による方式であり、訴外亡柳治郎は本件事故によつて死亡する以前普通の健康体であつた。以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。また、前顕甲第一号証によれば訴外亡柳治郎は大正五年八月五日生れで昭和三四年八月一八日に死亡したことを認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。右認定事実に照らして訴外亡柳治郎の喪失した得べかりし利益の数額について判断するに、同訴外人はいわゆる中農であつて、その耕作田畑における収穫につき特段の事情があるとの主張立証がないので、同訴外人の農業経営に基く収益を算出するに当つては前示認定の河北町一般における農産物の収益をもつてその算出基準とするのが相当であるばかりでなく前示のいわゆる家族労働報酬の算出方式によるのを相当と解すべきであるところ、同訴外人の労働は全家族労働の約八割を占めていたのであるから同訴外人の家族労働費は前示の表に記載された数額の八割を占めるものと解すべきであり、また年間の家族労働報酬を算出するに当つては前示の昭和三四年度における数額だけを基準とするよりも同年度と翌三五年度における数額の平均値を基準とする方がより妥当であり、更に同訴外人は桑を栽培して養蚕をしていたのであるから桑畑の収益は繭の収益をもつて算出するのが相当である。そうだとすれば、まず右両年度における各生産物の反当主生産物価額、資本利子地代算入生産費および家族労働費の各平均値、訴外亡柳治郎の家族労働費並びに同訴外人の年間反当家族労働報酬は次のとおりである(ただし円以下切捨)。すなわち、
種目
反当主産物価額の平均
資本利子地代算入生産費の平均
家族労働費の平均
訴外亡柳治郎の家族労働費
訴外亡柳治郎の年間反当家族労働報酬
米
三六、〇四六円
一五、三五七円
六、六五五円
五、三二四円
二六、〇一三円
繭
二七、七四九
三五、二〇三
二三、七六二
一九、〇〇九
一一、五五五
りんご
五四、〇三九
四九、六九七
一〇、一三三
八、一〇六
一二、四四八
普通畑
反当純収益
三、八三〇
三、〇六四
七、五三四
四、四七〇円
野菜畑
二、八二〇
八、二〇〇
六、五六〇
九、三八〇
次に、右の訴外亡柳治郎の年間反当家族労働報酬を基準として同訴外人の耕作田畑に照らした年間の収益を算出すると
種目
耕地面積
訴外亡柳治郎の年間家族労働報酬
田
七反五畝二二歩
一九六、九一八円
桑畑
一、八、〇六
二一、〇三〇
りんご畑
一、〇、〇〇
一二、四四八
普通畑
二、四、一二
一八、三八二
野菜畑
〇、四、一〇
四、〇三三
合計
一三、二、二〇
二五二、八一一
となる。
しかして、これを基礎として年間の純利益を算出するには右金額より年間生活費を控除すべきであるが、山形県企画審議室の作成にかかる昭和三六年三月刊行の昭和三四年度山形県民所得推計結果報告書によると、昭和三四年度における経営規模一町歩ないし一町五反歩の農家の一戸当り消費支出額の平均は金三五〇、五五四円であり、世帯人員の平均は六・〇人であつて一人当りの消費支出額の平均は金五八、四二六円であることが認められるところ、右の事実は当裁判所に顕著である。右の事実に前示認定にかかる訴外亡柳治郎の農業経営規模、世帯人員と弁論の全趣旨を総合すると、同訴外人の事故発生当時における生活費は年額金六万円であると認めるのを相当とする。原告等は同訴外人の生活費が年額金三三、六〇〇円であると主張するがこれを認めるにたりる証拠はない。また、同訴外人の得べかりし純利益を算出するために控除すべき生活費が家族の分を含まず本人一人だけの生活費であることは自明の理であるというべきであるから、これと見解を異にする被告高畠町の主張は到抵これを採用することができない。
更に、訴外亡柳治郎の農業経営による収益と同訴外人の死亡後において家族の経営により挙げ得た収益とを比較してその差額のみが同訴外人の死亡により喪失した利益とすべきであるとの見解もないではないが、同訴外人の経営していた農業は会社企業等と異なる個人企業と目すべきであつて経営者個人に従属するものであり、経営者個人がその企業を通じて挙げ得る利益はすべて経営者個人に帰属するものというべきであつて将来の得べかりし利益の喪失についても同様に解すべきであるから、前主の喪失した得べかりし利益と後主の挙げる利益とは必ずしも重複するものではないので、右の見解を採用することはできない。
してみれば、訴外亡柳治郎の前示年間収益金二五二、八一一円から前示年間生活費金六〇、〇〇〇円を控除した残額金一九二、八一一円が同訴外人の一ヶ年の純利益となる。
また、当裁判所に顕著な事実によれば訴外亡柳治郎の余命年数は二七年であることが認められるところ、前示認定にかかる同訴外人の職業、健康状態その他諸般の事情を総合すると同訴外人の稼働年数は本件事故発生の当時から起算して二二年間であると認めるのが相当であり、更に右二二年間のうち最後の五年間は稼働能力すなわち純利益が五割減するものと認めるのが相当である。従つて、これに反する原告等の主張は採用しない。
そこで、訴外亡柳治郎が前示年間純利益金一九二、八一一円を基礎として前示稼働年数二二年間に得べかりし利益を本件事故発生の日に一時に受領するとすれば、その金額はホフマン式計算法により、右稼働年間を各年毎に分け各期末ごとに右純利益を利得するものと仮定してその各金額から各中間利息を控除しそれらの合算額をもつてこれを算出する方法によるのを相当とするところ、右計算方式によれば
(1) 前の一七年間に得べかりし判益は
P1=192,811円×1/(1+0.05n)
≒192,811円×12.07693133
≒2,318,559円(円以下切捨)となり
(2) 後の五年間に得べかりし利益は
P2=96,405円×(1/(1+0.05n)-1/(1+0.05n))
≒96,405円×(14.58006299-12.07693133)
≒96,405円×2.50313166
≒241,311円(円以下切捨)
となり、右(1)と(2)の合計は金二、五五九、八二〇円となる。右金額が本件事故発生当時における得べかりし利益の現価である。
(ロ) 訴外亡柳治郎の慰藉料請求について
被告高畠町は原告等が訴外亡柳治郎自身の慰藉料を請求するのは適法でないと主張するが、民法は不法行為による損害賠償について財産上の損害賠償と精神上の損害賠償とを別異に取扱つていないし、財産上の損害については一般に即死の場合でも被害者が得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を取得し、その請求権は被害者の死亡によつて相続されるものと解されているのであるから、精神上の損害についても被害者が慰藉料請求権の不行使の意思を表明しないかぎりその相続を認めるのが相当である。
ところで、前示認定のように訴外亡柳治郎は老父と農業に経験のない妻および幼い子女四名を抱えて農事に励んでいたのであるが、更に、原告秀治本人尋問の結果によると、同訴外人は尋常高等学校を卒業して暫らく家業の農業に従事した後上京し、会社に就職していたところ招集令状を受けて兵籍に入り、終戦後復員して東京都警視庁に約四年間勤め、昭和二四、五年頃生家に戻り、以来農業に従事してきたのであるが、農事のかたわら河北町の田井農民組合に加入して農民運動に従事し、昭和三〇年頃から同農民組合の事務局長として活躍してきたものであることを認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はなく、右の事実と前示本件事故による同訴外人の死亡の態様その他諸般の事情を考慮すると同訴外人の慰藉料は金一五〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
(ハ) 訴外亡柳治郎の損害賠償請求権の相続額について
以上の次第であるから、訴外亡柳治郎は被告高畠町に対し本件事故発生による死亡により喪失した得べかりし利益の事故発生当時における現価である金二、五五九、八二〇円と慰藉料金一五万円の合計金二、七〇九、八二〇円の損害賠償請求権を取得したものというべきところ、原告勢んは同訴外人の妻であり、原告静枝、同充江、同修、同勢津子、同チユキはいずれも同訴外人の子であるから、法定の相続分に従い右請求権のうち原告勢んはその三分の一である金九〇三、二七三円(ただし円以下切捨)の請求権を、原告静枝、同充江、同修、同勢津子同チユキはいずれもその一五分の二である金三六〇、二二九円(ただし円以下切捨)の請求権を相続したものというべきである。
(ニ) 原告橋本を除くその余の原告等の慰藉請求について
前示認定の事実と弁論の全趣旨に徴すると原告橋本、同チユキの両名を除くその余の原告等は満四三才という働き盛りの一家の大黒柱とも目すべき訴外亡柳治郎を不意に失い、殆ど農業労働能力を喪失して生計を維持するのも容易でない状況に陥つたのであるから、同訴外人の事故死により蒙つた精神的苦痛は決して少なくないものと思料されるところ、諸般の事情を考慮すると右原告等の精神的苦痛を慰藉するには原告秀治に対し金一〇〇、〇〇〇円、同勢ん、同静枝、同充江、同修、同勢津子に対し各金一五〇、〇〇〇円の賠償を支払うことをもつて相当と認める。
次に、前示認定の事実と弁論の全趣旨によると原告チユキは訴外亡柳治郎と訴外仲野とゑとの間の長女であるが、現に養母である法定代理人高橋せいの許において生家から遙かに離れた大阪市に居住して平穏裡に生活しているので、実父の事故死により蒙つた精神的苦痛の程度は実父と起居を共にしていた者と比して少ないものと思料されるところ、諸般の事情を考慮すると同原告の精神的苦痛を慰藉するには金五〇、〇〇〇円の賠償を支払うことをもつて相当と認める。
(ホ) 原告橋本の慰藉料請求について
成立に争のない甲第一二号証の二、原告橋本本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば次の事実を認めることができる。すなわち、原告橋本は昭和二二年に旧制の山形県立山形中学校を卒業して東京都所在の私立中央労働学院専門学校に入学し、昭和二五年に同学校を第三学年で中途退学した。昭和二七年から昭和三〇年まで社会党の山形県連事務局長を、昭和二九年から日本農民組合村山協議会事務局長および寒河江市農民組合書記長を歴任し、昭和三〇年から昭和三四年頃まで日本農民組合の中央委員となり、昭和三四年二月から現在まで西村山地区労農会議議長をしており、また、現に山形県労農会議事務局長、寒河江市農民組合連合会事務局長を兼ねており、日本社会党に所属している。同原告は本件事故の発生により前示のように左肩胛部に打撲傷を受けたほか左腰部にも打撲傷を受け、寒河江市立病院外科、寒河江市の佐藤接骨院、山形市の至誠堂病院整形外科などで約二ヶ月半の間通院のうえ局部注射、湿布、マツサージなどの治療を受けたが全治するに至らず、現に腰部は季節の変り目、入梅期、春先などに痛みを感ずるばかりでなく、前示の地位に伴う政治活動の激務を通じて全身の疲労度が本件事故による受傷の前と後とではかなり相違し、受傷後の政治活動は少なからず能率が低下した。また、同原告は妻と幼い子供二人を抱えて田畑その他の不動産を所有せず、前示労農会議から取得する一ヶ月当り約金一五、〇〇〇円の収入をもつて生計を営んでいる。以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。しかして、右の事実によれば、将来政治家として立とうとする本件事故発生当時弱冠二九才の同原告が本件事故による受傷で未だに全治し難い腰痛症を患い、その生命とも目すべき政治活動をなすのに支障を来しているというのであるから、同原告の蒙つた精神的苦痛も少なくないものというべく、諸般の事情を考慮すると同原告の精神的苦痛を慰藉するには金一〇〇、〇〇〇円の賠償を支払うことをもつて相当と認める。
(ヘ) なお、被告志田訴訟代理人は原告橋本と訴外亡柳治郎の両名が本件事故の発生につき重大な過失があつたばかりでなく、同原告を除くその余の原告等が同訴外人の死亡により自動車損害賠償保障法による保険金三〇〇、〇〇〇円を受領した旨主張するが、本件において原告等から被告等に対する各請求はいわゆる通常共同訴訟の関係にあるものというべきであるから、民事訴訟法第六一条により被告志田の右主張は相被告高畠町の主張に何ら影響を及ぼさないものと解すべきである。従つて、原告等の被告高畠町に対する各請求の当否を判断するについては被告志田の右主張につき判断を加えるべき筋合でない。
八、結論
以上の次第であるから、被告高畠町は訴外鈴木の使用者として原告勢んに対し金一、〇五三、二七三円を、原告静枝、同充江、同修、同勢津子に対しそれぞれ金五一〇、二二九円を、原告秀治に対し金一〇〇、〇〇〇円を、原告チユキに対し金四一〇、二二九円を、原告橋本に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払うべき義務があるものというべく、原告等の本訴請求は右の限度において理由があるので正当として認容すべく、原告等の被告高畠町に対するその余の請求および被告志田に対する請求は理由がないので失当として棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 西口権四郎 石垣光雄 加藤一隆)